カラオケ歌ってうまいやつ決定戦みたいな番組のしょうもなさ

今実家にいて、親がわりとその手の番組を見ている。楽しんで見ているんだからまあ別にいいといえばいいんだけど、あの番組の何がどう面白いのかさっぱり理解ができなかった。
機械採点というのがまず根本的にヤバい。ものまね王座決定戦の人間の採点なんかは所詮好みに左右されるものだけど、その採点にはブレがあって毎回のノックダウン形式だからそもそも大きな採点の不満とか疑問にはなりづらいように構成されてる。
機械はその辺全くブレがないけど、ブレがないということは100点が出てしまうという事だ。実際音程が全く外れずにリズムキープして毎回ビブラートやコブシをまわせば100点が取れるのだろう、しかし100点の歌は定形のものである。見ていれば100点かどうかは機械判定の途中結果でわかるのだ。
そして何より、カラオケが高得点に近づけば近づくほどつまらないという大きな問題がある。つまり番組後半に近づけば近づくほど歌は機械的になり加速度的につまらなさを増していく。ほとんどつまらない歌王決定戦と言えよう。
歌がうまいという事はどういうことだろう。少なくとも音程が正確で、機械の評価するテクニックを常にぶちこむ歌ではないはずだ。美空ひばりは音程を探らずパッと出す。そこは機械で評価できても、美空ひばりをすごいと思う人々の心は未だ評価できない。

もちろんそれらが技術的に出来るということは稀有な才能で、素晴らしいことな筈なのにその素材を全く無駄にしているのがあの番組の構成だと思う。それはあたかも圧迫面接や、一様のリクルートスーツ着用を強いる集団面接の様相を呈している。それを堺正章が司会しているのが何か象徴的というか、皮肉で滑稽さがありそこは評価できるキャスティングだとは思う。

風変わりな服が好きだ

それはありきたりな服が嫌いだという気持ちの裏返しなのかもしれない。

ひねくれた考えのブコメが多い。
それはふつうの考えをしたくないという気持ちの現れなのかもしれない。

どちらの根っこにも、普通でありきたりな自分を許せないという気持ちはどれくらい混じっているもんなんだろう。

プロとしてやっていけないと諦めるプロアスリートの話と、あとなんかの増田かなんかを見て我がことを振り返ってしまった

よーし嘘つくぞー

そしてエイプリルフールが終わってからはウソはつかない!

入院した

お医者さんに「このままほっといたら死にます」ってガチで言われた


テンションあがった

それはただのあわさ

世の中には泡が溢れ返っている。
泡と泡がごじゃまぜになる
誰かの泡が誰かの泡をペしゃんと潰す
それを上へ上へと追い立てる熱は何だ
潰れた泡の中身は空で、ぴしゃんとはねてまたもとへと戻る
泡は勝手気ままに動く
泡は自由に
何もしばるものはない

ワイの考えたキリスト教ここがすごいぞ

ブコメで最近思いついたキリスト教論を書いたので、書き足りなかったこととか書きたい。以外歴史的な正しさとかあえて調べずに考えたただのヨタ文です

まずユダヤ教からの変化。ユダヤ教ってなんか神が直接ああせいこうせいって言ってる感が強い。この特徴はイスラムもそうで、しかしこのスタイルだと間口が狭まるし時代だなんだにあわせた変化は生みづらい。そりゃ神が言ったことホイホイかえらんねーわな。イスラムの人が豚食わないだユダヤは食えないもん多すぎwwwとか言ったってしょうがねーんだよってこと。神に喧嘩売ってんのかと。
んでその間口狭いって不便さを解消するには宗教とか関係は一切合切ユダヤ!これ一本!!みたいにしとくのが一番。したらまぁ無条件でオッケーになるからね。親父や周りみんなが言ってることなんてちょい変でも従うってのがイキモノなんだよ。
そんで、そりゃ周りの宗教滅ぼすわと。

そのへんキリスト教はやべー。まずキリストが神からろくな目にあってない。ここでもう「神=万能=神の言う事聞いてる俺らも万能」っていう一神教の矛盾点ほとんど消してる。
そのろくでもない目に合わされるキリストがいろいろ奇跡起こして、死んでも生き返って「やっぱ神っしょ!!!」これはやばい。

ユダ、お前裏切りよったな……でもゆるーす!

この神感あふれるインパクト。もはやナンマイダーで全部おkつってた東洋一の一揆マシーン親鸞先輩と同様のインパクトがある。

だが現実は残酷である。残酷さに勝つ方法?俺ら知ってますよ、とやってたのがキリスト以前。
キリストは、「残酷だよねーまじで。残酷だけど俺みたいに愛のパワーすべて振り絞ったらうまくいったりするし、うまくいかなくてもまあパワー足りるまでいったらあとは俺らがなんとかすっから頑張ってみろよ!!」って言ってくれる先輩。

そして後の世の人らが、その無茶な話をああしようこうしようとひねくりだしたのが三位一体とかいうくそわけわからん理屈だったり、正義とか愛とかの現実の合理性から著しく乖離した抽象的な概念なんじゃないかな、というのもあるんだけどまあそりゃ別なときにまとめてみよう。

別にこんなブログ誰も見てないのだが

5日くらい前に、冬中続いた鬱が躁に切り替わったのでそのタイミングくらいで、とんでもなくテンション高いブコメをほうぼうに残している。
ギョッとした人にこの日記を見せることができればいいのだけど