自由とは一体何なのか

最近よく考える事は、インターネット上だろうが何だろうが論理的な正しさを求める風潮とそれがもたらす弊害についてだ。
そのテーマにそって思考を巡らすと、論理的な正しさの追求というよりも「自由への希求」こそ人間が人間らしく生きてゆくためには必要…というか、現代の生活をつつがなく送るために本当は必要なものなのに、この国の現状で全く持って足りていない考え方なのではないか、という疑問が浮かび上がってくる。

現行の日本という国家に合理性も、その土台になるべき論理性も存在し得ているのかという謎もそれはそれで存在するが、なればこそ合理性を追求すべきという事になってしまうのも仏造って魂入れずというか、本当に求めるべきものが何なのかに対する考慮の無さが甚だしいような気がする。

もちろんそこで求めるべきものなんか人それぞれな上にその状況に依存している訳で千差万別なんだろうけど、大まかにくくれば「自由であるべし」というテーマは割と忘れられがちなのではないだろうか。

人はなんのために働くのか。金を稼ぐのはどういう理由なのか。大概の人間にとって、賃金は自由にならない金なんではないかと思う。生きるために使ったり、今後生きるために貯めておいたりするものだ。もし自由が約束されているとして、


なんか纏まってないので続きは気が向いたら書く

再現性のない

って表現いいなと思ったので、ただただそれが言いたくてブログを書く

ホットケーキが好き。ホットケーキ。材料あると色々やったりもする。卵白をたててみたり、牛乳のかわりにヨーグルトで作ってみたり、今日は乾煎りしたおからを入れてみたりもしているが、まあ別に普通に作ったもので味的には全くいい。
ちなみにヨーグルトを入れたりバナナを入れたりする場合や、卵白をたてまくってふわふわにしようとした上でめんどくささゆえ一発で大人一人が満足できる量を焼こうとする場合は、焼いているとき基本的にフタをしてひっくり返す際全体の強度を高めたほうがよい。中だけ焼けてないのも防ぎやすくなる。(再びひっくり返して外側カリッというのはこの場合単なる焼きすぎになるので、両立させるのは諦めたほうが良いだろう)

ここまでは再現性しかないが、最近はまっているシロップについて若干の再現性なさがある
材料は言ってしまえばはちみつorメープルシロップに、みりんと洋酒を加えてレンチンしたのちレモン汁をお好みで加えるといったものだけど、この素材で自分が金を出して買ったものはポッカレモンだけ。
じいさんが買って使っていない三河の赤みりん、太古の昔に買ってサイドボードの肥やしになっていたカミュナポレオンデキャンタ、なんか高いはちみつ
この無茶げな素材ゆえなのか、このシロップはやたらにうまい
値段を抑えたものでもうまいのかどうかはわからない。砂糖とラム酒でもなんとかなりそうな気はするけど、このちょいとフローラルな雰囲気はでなさそう。コクは出そうだからその場合潰したバナナとかレーズンを漬け込んでみるのもいいかも

つまり大人がホットケーキを作って欲望を満たそうとしていくと、必然的にインスタントなパウンドケーキへと近づいてゆくのではないかという思いつきがあったけどそれに再現性はない

スポーツマンシップ

きれいでないのが当然だとみんなが思っていればこそ、きれいなものを目指して努力をしていく。
そこがごっちゃになってる奴が多いんだ、スポーツが健全な精神を養わないじゃないかとかサラッと言っちゃってよ。

大して健全でもない己をまず見つめてみなよ、そんな事軽々しく言えやしねえから

小笠原をみてて思ったこと

エースという役割をおっ被せて雑な起用を正当化する

まともなファンのヘイトは監督とチームに向く

選手としてはそんなキツイときでもファンは支えてくれたという思考に陥る

FA資格保有時に残留の可能性が低くなる


なんちゃってね

ここ一ヶ月で

大滝詠一の作品をざっと聞きかじってみて、結局ファーストがマイベストかもしれないとの感想を得た(まだレッツオンドアゲインとCMスペシャルは聞いていないけど)
しかしどのアルバムも本当にすごいというか、今更初めて聞いたような者にとっては完成したガウディの建築を見るようでただただ「どうやったらこれが出来るってことになんだよ!」というのみだ
付随して気付いた事としては、ここからのシティポップも含めてめちゃめちゃ聞き覚えのあるフレーズがそこかしこにでてくる事で、テレビ(とりわけフジテレビたと思う)から自然と流れてくるサウンドで俺らの世代は育ったんだなあという事を思った
いやー、もっと詳しい人の話とか面白いんだろうなあ。大滝詠一を偲ぶ会の参加のため、福生行きの切符買おうかな

カラオケ歌ってうまいやつ決定戦みたいな番組のしょうもなさ

今実家にいて、親がわりとその手の番組を見ている。楽しんで見ているんだからまあ別にいいといえばいいんだけど、あの番組の何がどう面白いのかさっぱり理解ができなかった。
機械採点というのがまず根本的にヤバい。ものまね王座決定戦の人間の採点なんかは所詮好みに左右されるものだけど、その採点にはブレがあって毎回のノックダウン形式だからそもそも大きな採点の不満とか疑問にはなりづらいように構成されてる。
機械はその辺全くブレがないけど、ブレがないということは100点が出てしまうという事だ。実際音程が全く外れずにリズムキープして毎回ビブラートやコブシをまわせば100点が取れるのだろう、しかし100点の歌は定形のものである。見ていれば100点かどうかは機械判定の途中結果でわかるのだ。
そして何より、カラオケが高得点に近づけば近づくほどつまらないという大きな問題がある。つまり番組後半に近づけば近づくほど歌は機械的になり加速度的につまらなさを増していく。ほとんどつまらない歌王決定戦と言えよう。
歌がうまいという事はどういうことだろう。少なくとも音程が正確で、機械の評価するテクニックを常にぶちこむ歌ではないはずだ。美空ひばりは音程を探らずパッと出す。そこは機械で評価できても、美空ひばりをすごいと思う人々の心は未だ評価できない。

もちろんそれらが技術的に出来るということは稀有な才能で、素晴らしいことな筈なのにその素材を全く無駄にしているのがあの番組の構成だと思う。それはあたかも圧迫面接や、一様のリクルートスーツ着用を強いる集団面接の様相を呈している。それを堺正章が司会しているのが何か象徴的というか、皮肉で滑稽さがありそこは評価できるキャスティングだとは思う。

風変わりな服が好きだ

それはありきたりな服が嫌いだという気持ちの裏返しなのかもしれない。

ひねくれた考えのブコメが多い。
それはふつうの考えをしたくないという気持ちの現れなのかもしれない。

どちらの根っこにも、普通でありきたりな自分を許せないという気持ちはどれくらい混じっているもんなんだろう。

プロとしてやっていけないと諦めるプロアスリートの話と、あとなんかの増田かなんかを見て我がことを振り返ってしまった