ko_kanagawaのブログ

The intermittent fragments of log

情報という概念

ふと最近思った事だけど、情報はかつて「蓄える」ものだった。
いま改めて考えるとそれってかなり時代遅れだよな、と感じる。
情報は更新しなければ意味がない。かつてもそうであったといえばそうだったはずなのだけど情報へ接するスピード、つまり量的なものがその認識を個人レベルで変えて、もはや更新されない情報なぞ変わらない錯誤を抱えるようなものというレベルに近くなっている。

まあしかしそれだって考えてみれば公的な、例えば仕事なんかのメシの種に関わる情報であれば昔からそうだったはずなのだから、つまりは私的な情報の扱いに関しても公的なものを取り扱っているレベルが求められるようになった(なってしまった)というのが端的に纏めた現状ではないか。

人間には認知バイアスというものが絶望的に介在する。その面倒くささ、厄介さは御したと思ったその時こそこちらを振り落としてくるような悪魔性がある。特に自分のようなとりたてて賢くもなく、とりわけて間が悪く生まれつきおっちょこちょいな人間にはそうだと自分で信じてさえいる。

追/ 情報の正誤を決める心とは、一体何なのか。まさか誰も自分の考えが真実に達していると考えているわけでもあるまいに、しかしそう信じていると捉えられるような口ぶりで情報に接しかねない日常がある。
そしてその危うさを、SNSで増幅された好悪が補強する。そして次第に判断の正当性を補強するものであったはずの好き嫌いが判断そのものを呑み込み、好きなものを正しくし嫌いなものを誤ったものに仕立て上げてしまう。

何かを正しいと断定し、何かを誤っていると断罪する。少し前ですら気軽にやっていたそんなような事すら、今は先の見えない中タイトロープを渡るような行為に思えてしょうがなく、ただただそんな場面から遠ざかりたいという思いが今はあるが、しかし人生とはそんなものなのだ

アクセス解析ページを

PCモードで見てみたら

 

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はてなからのアクセスが少ないのか、スマニューが多いだけなのか。

てか日記もスマホchromeからだとそもそもがオミットされてる機能が山ほどあるのね。ま、だからなんだとも思わないけど、はてなはあんまりモバイルに力入れてないイメージつよいね。

最近行った鎌倉のお店

を、主にりんごの木さんに向けてしたためる。
非常ににわかじこみの情報だけど、いいなと思った所をそのまま書くことに努めるので相対評価ではないということを考慮していただけると幸いです。

最近よく外で紅茶を飲む。コーヒーは正直辻堂の27coffeeが素晴らしすぎて、そこで飲むのが至高で他はあまり感動がなくなってしまっているのと、豆の買い置きがあればそのへんの店で飲むより自宅のフレンチプレスでパパっと淹れたもののほうが美味しかったりするから。
そしてまあ、いい店は紅茶だとポットごとサーブしてくれてコストパフォーマンスがいいという悲しい庶民の知恵も大いにあったりもする。
そしてそのメリットを最大限に甘受する上では、混みすぎないということも非常に大事…なのだけど鎌倉は鎌倉だからその辺諦めも必要となる。

前置きが膨らんでしまった。

ブンブン紅茶店
〒248-0017 神奈川県鎌倉市佐助1-13-4
750円(平均)900円(ランチ平均)

まず最初はブンブン紅茶店さん。いきなり反例だけどこの店は席数的にはわりとタイトになる。そもそも名実あるいいお店が銭洗弁財天と佐助稲荷に向かう道すがらにあるということで、週末ゆっくりすることは諦めた方がいいかも。ランチは行ったことがないので謎

この店のウリはもちろん紅茶…もなんだけど、正調な英国風の手作りお菓子が素晴らしい。
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スノーフレークケーキと銘柄忘れたストレートティー
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ヴィクトリアサンドウィッチとカルダモンティー

スノーフレークケーキはまず提供するスタイルがすごい。このあいだ初めて頼んで出てきたのを見たとき、それだけで気分が上がった。食べる前からそんな事になるってもはやすごい価値。
そして意外な食べ方の指示を教えてもらっていざ口にすると、もはやはっきりした食感は焼きメレンゲ部分のみがあって、その強い甘みと中にまた甘さの抑えたメレンゲ?(これが何だったのかだけ曖昧)クリームの濃厚さ、最下段のレモンカードの爽やかな甘酸っぱさがランダムに、時に混じり合って口を楽しませてくれる。
ポットの紅茶は優に3杯分だけど、このケーキにはそれを最大限楽しませてくれる楽しさがあるので、ボディの強いお茶が合うかな?

ヴィクトリアサンドウィッチは、端正な見た目を全く裏切らない味わい。ジャム(写真ではどちらもレモンカード。季節で変わると思う)をスポンジで挟んで、アイシングをかけただけ。しかし個人的にはスノーフレークケーキよりもこちらに感銘を受けた。
クリームもなく、飾り気もない本当に本当に地味なケーキ。だけどとにかくスポンジの食感が素晴らしい。口どけ、生地の弾力とやわらかさの正しいバランス。
ヴィクトリアサンドウィッチという名前が漂わせるのは華やかなイメージだけど、その実イギリス国民の美徳というか質実剛健さ素朴さと、何よりそれらを動かさない頑固さ、またその裏にある自信を作っている人に感じることができた…というと大袈裟かなあ?
味わいとしては本当にシンプルなのでお茶は何でも合うはず。飲んだことのない品種、おすすめのスペシャル茶葉、チャイもあればフルーツフレーバーブレンドもスパイスティーも、ジャム入り洋酒入フレッシュフルーツ入etc...ティーと呼ばれている中でここで飲めないのはロングアイランドアイスティーくらいじゃないかという中で、思い切ったものを選んでもこの店なら満足できると思います。


書くとやたら長くなったのでまず一軒だけ。
予定としては喫茶系の欧林堂、クレープリーアルモリック、ベルグフェルド長谷店
食事系の極楽カリー、シーキャッスル、津久井、マイクスバー、バワンなんかを書きたいけど、今回力加減がおかしいので次回から調整したい。夜中に始めたのが間違いだった…

昨日の前日のはなし

元はといえば一昨日に、長谷(まあべつに雪の下の本店でもよかったけど)のベルグフェルドまでパンをおつかいで頼まれて、ニアミスしていたのが昨日のクジラ見物の前日譚なのだけど

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このシャツを観音大通り沿いの手仕事屋?というお店で見かけて、思わず衝動買いしたのが一昨日の正午くらいで、その日帰ってからクジラ漂着のニュースを見たんだよね。
打ち上げられた時刻ともかなり近くて、今にして思えばすごく不思議な感じ。ふだん服を衝動的に買うことなんて全くないのに。

由比ヶ浜のクジラ

f:id:ko_kanagawa:20180806174740j:plainf:id:ko_kanagawa:20180806174715j:plain見てきました
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家に帰ったらまた別なアングルから上げます
全長は想像以上に大きい。10メートル近い。
実物見ずにニュースで聞いただけなのでどうせゴンドウかなんかだと思ってたけどザトウクジラ?

追記
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id:izumiya1948 原則通り、このまま埋めると思います。市職員さんが漁業への影響を懸念していましたが「それは自然界で日常的に起こっていることですので」、と学者らしき女性が力強く言っていました。
個人的に海とドリトルかへんなものみっけかどっちか忘れたけど生物学系の漫画でそういう対応をすることを知っていたのもあってテンション上がりました。

また、現地でも気温を考えると腐敗の進行は相当に高いはずという懸念があり、重機を出している業者との兼ね合いがあるにしても今日明日のうちに埋葬しなければならないという会話をしていました。台風も接近しているという事でなんとか対応を頑張って貰いたいですね。

死因などの細かい話は解りませんが、朝から監視と現場警備をされていたらしきライフセーバーの方曰く、外部から確認できるほどの傷があったそうです。写真では正直よくわかりませんが、隠れていた頭部近辺にあったのかな?

ネットワークは

双方向的でなければいけないってのと、コミュニケーションのあるべき姿とをごっちゃにしがちという問題があるのでは?というのを今思いついた。
そしてその辺を考えていったとき浮かぶのは「ある要素を無視する」という選択をどれくらい自然に出来るのか、という事。
人間同士のやり取りの場合を考えると、無視をなるべくスムーズにする事はむしろネット上より簡単なんじゃないかなと思う。
それは暗黙の了解が成り立ちやすいという事と、暗黙にしている範囲が実際わかりづらいって点が大きいのではないだろうか。
ネットのように全てにログが残り…というか残ったログだけが真実、みたいな言ってしまえば倒錯的な状態だと、喋っている事柄の周りに大きな暗黙のスペースが「ある」ということがよそから一目瞭然になりすぎてしまう。
もちろんそういう不意の視点から飛んでくるテーマがより良い議論につながる事もあるとして、それが元の発言の言いたいこととかなんとかをまるっきり圧殺してたらいくらまともな意見だろうがなんだろうが、コミュニケーションとして良いものかは疑問だ。

そういうのをまた完全に無視する態度もまあ建設的ではないと思うってのもまた難しいところだなと思うけど、「無視が出来ない」って事が支払ってるコストというのは案外でっかくて、更に言えばそういうところが以前書いた合理性至上主義みたいなものに繋がってるのかもしれないなあとも少し思った

最近のブコメで

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/touch/20180718/1531920324

幾名かの人に反応を頂いたので、そのお返事に
といってもクソほど蛇足なんだろうし別に大して見られないとは思うけど書く、自分のために。
雑文しか書けないので言ってることわけわかんないだろうことはすいません

まず誤解を与えたようで申し訳ないし言い訳みたいになるだろうけど、別に親右翼的なチャンネルやなんかがどうなろうが別にそれ自体をどうこう思うつもりはない…
無いはずなのだけどその辺も自分の考えながら曖昧で、やはり現状で極端なものはなんの考えもなくノータイムでアカウントごと消す事が適切だと思う。ただ右翼をこじらせて差別的な表現に至るとしても、それを上手いことぼかす事に気を使っているチャンネルとそうですらないチャンネルというのは存在していると思う。
そのへんをおしなべて通報でアカウント消滅に追い込むというこの事象をなんで危惧するのかって言うとまず第一に、その手法がひっくり返ったときに耐えうるもんなのかっていう獏とした不安がある。
リベラルを信条としてる人がまさか人権とかでユーチューブのポリシー違反とかになりうるとは思わないけど、今回みたいにスパムへの誘導?みたいな謎めいたBAN判定はされかねないし、何かの間違いで一回それを食らった事がスティグマ扱いされてわけわかんない理屈のままさらなる批判を呼ぶみたいな離反工作って現状でも起こっているのではないかと思うし。

そしてもう一つ、わざわざ記事を書いてまで自分の考えをまとめたい事柄とは右翼的思想を持った人々を包摂は出来るのか、出来ないのかという話で
この考えが最近頭をよぎって離れないのは、Hagex刺殺事件の犯人と右翼的思想にかぶれた人たちがものすごく親しい存在というように感じられるからなのだけど、更に関連して右翼に傾倒する人々とオウム信者の人たちの類似性はないかな?という思いつきがあって、
かの増田≒ネトウヨおじさん≒オウム信者
みたいなものを個人的に考えていたからこそあのブコメの内容になった。

自分で書いてて話ごちゃごちゃしてきたからひっくくると、もう明らかに論理破綻しているとしても…いやむしろそういうものに依拠しなきゃいけない人の「追い詰め方」というのがすごく大事なんじゃないか?という感じだろうか。
そこに義があるからやる、みたいな感情や正しさがこちらにはあるみたいな姿勢で追い詰める事は、マジョリティの納得は得るであろうし大局的には圧倒的に正しい。それは間違いない。

が、そこを否定するものではないにせよ今の自分にはその考え方ではHagexさんもあの増田もオウムの信者も、もしかしたらこれから生まれるかもしれない極右の人々も救えないのではないかと思えて仕方がない。

それが例え右翼シンパのくだらなく見える人に慮る形となって、彼らが今差別する人たちを助けない形となったとしてもなのかどうなのか。そのへんが曖昧なのでご指摘を頂いたんだと思うけど、やっぱりまとめてみたら曖昧でした、すいません