ko_kanagawaのブログ

The intermittent fragments of log

漢文古文の話

毎度毎度この手の話題は、「リベラルアーツ“も"必要」とかいう殆どなんにも言ってない系の正論と、それに打たれる脳みそ停止系大量スターにまみれるなあと個人的に思っているけどまあはてブってそういうもんだからそれは軽く腐すだけに留める。

ここで思いついた話題は、エリートにリベラルアーツがホントはどの程度必要かって話だ。

当然全く必要ないとかいう意見はクソなんだけど、分量としては今より全然減らして問題ないと思う。
ただ、減らす事がリベラルアーツの権威も低下させる事に繋がるならそれはリスクになりうるのでそのへんをうまくやろうというのが自分の意見。
文化的教養ってものが社会の中で実質的に果たす役割って「なんとなく引用すると泊が付くぞ」くらいの範囲に留まると思っている。
勿論深く理解し合ってりゃなんか別の効能があんのかもしんないけど、それにしたってオタクのコミュニケーションにありがちなお互いの属性峻別してから始まる知識量競争みたいなもんで、そんなマウンティングゴリラのドラミング合戦みたいなことに社会のリソース割く必要本当にそんなあんのか?ってのが個人的な見かた。

んでここからが本当に言いたいことで、エリートは浅い知識で漢詩だとか哲学用語とか偉人の名言みたいなリベラルアーツを使う→浅い知識だからこそその使い方に知性が発露する→知性がないエリートには暇なオタク(とそれに率いられた大衆)が知識一点突破で勝てるようになる→エリートが知らないなりにリベラルアーツに敬意を払うようになる=オタクとか普通の人たちの人海戦術にも配慮するようになる  みたいな回路を生むべきなんじゃないかって事
今はエリートになるためにリベラルアーツの知識が求められすぎてる結果、マジモンのガチヲタを除いてエリートにはなんにも敵わないみたいな社会の共通理解があるような気がする