ネットワークは

双方向的でなければいけないってのと、コミュニケーションのあるべき姿とをごっちゃにしがちという問題があるのでは?というのを今思いついた。
そしてその辺を考えていったとき浮かぶのは「ある要素を無視する」という選択をどれくらい自然に出来るのか、という事。
人間同士のやり取りの場合を考えると、無視をなるべくスムーズにする事はむしろネット上より簡単なんじゃないかなと思う。
それは暗黙の了解が成り立ちやすいという事と、暗黙にしている範囲が実際わかりづらいって点が大きいのではないだろうか。
ネットのように全てにログが残り…というか残ったログだけが真実、みたいな言ってしまえば倒錯的な状態だと、喋っている事柄の周りに大きな暗黙のスペースが「ある」ということがよそから一目瞭然になりすぎてしまう。
もちろんそういう不意の視点から飛んでくるテーマがより良い議論につながる事もあるとして、それが元の発言の言いたいこととかなんとかをまるっきり圧殺してたらいくらまともな意見だろうがなんだろうが、コミュニケーションとして良いものかは疑問だ。

そういうのをまた完全に無視する態度もまあ建設的ではないと思うってのもまた難しいところだなと思うけど、「無視が出来ない」って事が支払ってるコストというのは案外でっかくて、更に言えばそういうところが以前書いた合理性至上主義みたいなものに繋がってるのかもしれないなあとも少し思った