主観と二項対立、そして複雑系

主観で話をすると、独善に変わりうるのでそれは俯瞰して扱うべき
隣り合う二項があれば対立となり、多かれ少なかれイデオロギー同士のぶつかりあいとなる
ではこの世をおしなべて複雑系と捉え、揺れ動く情報の中で合理的な決断をしていくとなると人間の能力にそのような事を行う能力はないので不可能となる

何が正しくて正しくないのかを「極個人的に」判別する事にさえ、「揺るぎない個人」の確立が必要不可欠だろうが、そんな事が出来ているのは明確な狂人だけだ。

世の中の全ての物事はうつろう。うつろわぬものが仮にあったとて、その周りがうつろうありさまを映し返す鏡になるのが精一杯でないかと思う。

新潮45大坂なおみ選手の色々を見聞して思った事を書こうと思ったら得体のしれない前置きになった。

差別やなにかが「ある」ことと「ない」という主張の対立においては、ないという主張は弱くならざるを得ない。
「ある」には変化が含まれる。勿論なかったものが出てきたという誕生も含めて。
しかし「ない」にはせいぜい元からないか、あったものがなくなった、の二種類くらいしかない。

ないという断定には絶対性がある。そして、世の中に絶対性があるものなんてそうそう存在しない。
ないようなものだ、とないとは圧倒的な断絶がある。

つまりほんらい議論すべきは、ないとされてきたものが本当にどれだけあるのかということだ。
主観ではなく、あるかないかの強引な二元論でもなく、人間の手には余ることが明白であろうが恐ろしい現実を詳らかにしてその先に破滅があろうが、その複雑さに取り組むことしかないのだろうと思う。

俺はそんなめんどうくさいことは死んでもいやだと思いながら知らんぷりして生きるけど