ko_kanagawaのブログ

The intermittent fragments of log

流行り廃りがもつ作用

最近少し思いついたことを。
ものごとには流行り廃りが少なからずある。
それがもたらす影響は良いもの悪いものがある。
最近思った、「廃ること」の良い点に絞ってここで述べてみよう。

文化というものは伝播してゆくもので、新しさや光の強さに眩んで連続性をないがしろにしてしまうことはよく起こっているのではないかと思う。
特にそれをエンターテイメントに限定すれば顕著なのは、端的に言ってしまえば人間の想像力は無限だ、みたいな想像力のない幻想が結構広く信じられているせいなのではないかと皮肉っぽく考えたりもする。
伝播するほどの影響を残す中で、しかし廃れるというのは矛盾したような話かもしれない。

なんか夜中適当に書きかけのままupしてしまった
でもその後いい例えを思いついたので書いてみる

古代に滅んだ遺跡が現代に発掘される。そこから逆に古代の情報が現代に流れ込むということが起こる。
例えばその遺跡や遺構が一旦土中に埋まらなかったとすればその現象は起こったのだろうか。もちろん素材や環境にもよるのだろうけど、それはほぼ不可能だったはずである。つまりおそらくこれは、地面に潜ってくぐり抜けてきた時間そのものがインパクトに変換されるというような原理があるのではないかという仮定だ。
跡形もなく滅ぶ。うわものは消し飛ぶ。しかし、その全ての痕跡がなかったことになるわけでもない。土台が残り、ごみ捨て場が残り、朽ち果てた死骸が残ることもあるかもしれない。
その儚いなにがしかがタイムカプセルのように時を超えて、その超えてきた時間ぶんの衝撃を伴い現代へ蘇るということがあるのだろう。

文化というものにおいてもそのような作用はあるのではないか、と思ったというお話でした。