諦める自由、を殺すもの

岡本圭司というプロスノーボーダーの中でも人気の人が、撮影中に脊髄を損傷するような事故にあった。彼は今下半身不随で、当然入院している。現状は首から上が動き、サイトやSNSの更新は彼が話す言葉を文字起こししているのではないかとの事。
事故についてや本人については人それぞれのコメントがあっていいけど、俺が見たフェイスブックのコメントには、「諦めちゃダメ」とかいう類の言葉がハナから溢れかえっていて、とてもじゃないが全てを見る気にはなれずブラウザをそっと閉じた。

最初に感じたのは、そのコメントの浅はかさや愚かさに対する苛立ちだった。「諦めるな」という世の中にあふれる呪詛のような言葉。
しかしフッと再生医療について考えた。
例えば、大金をせば神経の再生医療臨床試験に参加できるとしたら。

現代医学の進歩は神経の構造分析と代替品の開発も、さらに言えば神経細胞そのものの生成もあと一歩、過渡期に今いるのではないかと思っている。今現在臨床試験を行っている人への偏見にもなりそうで表に出すのも憚られる考えだけど、例えば。そう例えば諦めない金持ちが持てる力をすべて使えば、脊髄損傷からの回復が出来てしまう世の中に今なっているとしたら。

その現実は、最初素晴らしいニュースとなって世の中を賑わす事だろう。だけれども。その裏で数多の脊髄損傷を負って麻痺の残った
人には、パンドラの箱に最後残った希望のような、見えない終わりの始まりのように映っててしまうかもしれない。

他方、有名な人が治療に力を注ぎ、医療の発展が果たされて、より早く多くの人たちが救われる可能性が高まるという合理的な側面もそこには見出され得る。合理性のもたらすグロテスクなまでの判断は、果たして正義なのか。そして、そこに自由と平等は介在するのだろうか。

なんだか非常にとりとめもなくなってしまった🍊