ko_kanagawaのブログ

The intermittent fragments of log

漫画の防備録

ロマンスの騎士 
ダンスダンスダンスール(作ジョージ朝倉)←今回はこっちについて書く

スポーツジャンルだけど本質的にスポーツモノではない2作品
特にダンスダンスダンスールの前半部分はそれ自体がオペラのよう
最近よく思うのは、漫画とはいえ大きな物語を描く能力というのは恐らく今の業界の事情などもあって、一握りの超天才にしか不可能なんだろうということ。
岩明均三浦建太郎幸村誠なんかのネームバリューを得ている人でやっと可能になる話だと思う。

そんな中でも、ダンスダンスダンスールは話の奥行きが広い。登場人物が中学生という事で等身大の青春、みたいなのももちろん要素としてはあるけど、その主従がはっきりとある運命に導かれる中でのキーでありフックに過ぎないんだろうなと思ってしまう力がある。
これは想像に過ぎないけど、クラシックバレエという題材自体がそもそも重いものを果てしなく軽やかに持ち上げてみせるみたいな矛盾じみた技術と、それが可能にする圧倒的な表現力の粋を集めたものだからこそ妙に漫画と合うってところがあるように思う。
バレエ漫画て色々あるけど、そこそこまともに読んだことあるのSWANくらいだし現実のバレエをそもそも見たことないので、ちょっと見てみたいなとか思わせられるような引っ張るパワーのあるすごい作品だし、その上更に壮大な完成に向かって突っ走っていることを感じさせる作品。
決してただ悲しい舞台や場面を作って元気な主人公が頑張る、みたいな一直線なものではなく…というか作者の描く線も端的にそれを表しているのかなあと思うけれどとにかく曲線の連続。曲線であるからこそそれを紡ぐ事がいかに難しく、その中で「正しさ」に向かうことの意味みたいなものをこちらにも投げかけてくるような気がしている

ものすごい勢いが書いてるうちに生まれて謎の乱れたグルーヴになった気がするしまだまだ書き足りない点や事柄いっぱいある(最近思う女性作家の偉大さとか)けど、とにかくこの作者は天才。連載しているうちに読む事を強くおすすめします。こんなわけわからん文でもそこに自身が持てるほどすごい漫画はそうそう出会わない

スポーツのいいところ

起こった現実にはどうにかこうにか折り合いをつけなきゃいけないところだとおもう

でもスポーツ上の出来事は現実とは全然けっこう違う理屈で動くから、理解がしやすい面もあるというのが現実と違っていいところだと思う

そしてスポーツをそれなりに取り組まないとわからないことは、平等についての事だ。
スポーツ上での平等とは、押し並べてルールにしか存在していない。
それが書かれてあるルールなのか、不文律となっているルールなのかで厳密な平等すら怪しいが
とにかくルールという人が作って人が決めた概念にしか平等はなく、つまりスポーツとは不平等と戦うということにほかならないのだ。

自然とはまったくの不平等で、故に人間がこさえた平等という概念を尊重するようになるというのが、一握りの超天才以外のほぼすべてのスポーツマンが向き合わされる宿業なのだけど、そこに目を向ける事は取りも直さず敗北を見つめるということである。

自由とは一体何なのか

最近よく考える事は、インターネット上だろうが何だろうが論理的な正しさを求める風潮とそれがもたらす弊害についてだ。
そのテーマにそって思考を巡らすと、論理的な正しさの追求というよりも「自由への希求」こそ人間が人間らしく生きてゆくためには必要…というか、現代の生活をつつがなく送るために本当は必要なものなのに、この国の現状で全く持って足りていない考え方なのではないか、という疑問が浮かび上がってくる。

現行の日本という国家に合理性も、その土台になるべき論理性も存在し得ているのかという謎もそれはそれで存在するが、なればこそ合理性を追求すべきという事になってしまうのも仏造って魂入れずというか、本当に求めるべきものが何なのかに対する考慮の無さが甚だしいような気がする。

もちろんそこで求めるべきものなんか人それぞれな上にその状況に依存している訳で千差万別なんだろうけど、大まかにくくれば「自由であるべし」というテーマは割と忘れられがちなのではないだろうか。

人はなんのために働くのか。金を稼ぐのはどういう理由なのか。大概の人間にとって、賃金は自由にならない金なんではないかと思う。生きるために使ったり、今後生きるために貯めておいたりするものだ。もし自由が約束されているとして、


なんか纏まってないので続きは気が向いたら書く

再現性のない

って表現いいなと思ったので、ただただそれが言いたくてブログを書く

ホットケーキが好き。ホットケーキ。材料あると色々やったりもする。卵白をたててみたり、牛乳のかわりにヨーグルトで作ってみたり、今日は乾煎りしたおからを入れてみたりもしているが、まあ別に普通に作ったもので味的には全くいい。
ちなみにヨーグルトを入れたりバナナを入れたりする場合や、卵白をたてまくってふわふわにしようとした上でめんどくささゆえ一発で大人一人が満足できる量を焼こうとする場合は、焼いているとき基本的にフタをしてひっくり返す際全体の強度を高めたほうがよい。中だけ焼けてないのも防ぎやすくなる。(再びひっくり返して外側カリッというのはこの場合単なる焼きすぎになるので、両立させるのは諦めたほうが良いだろう)

ここまでは再現性しかないが、最近はまっているシロップについて若干の再現性なさがある
材料は言ってしまえばはちみつorメープルシロップに、みりんと洋酒を加えてレンチンしたのちレモン汁をお好みで加えるといったものだけど、この素材で自分が金を出して買ったものはポッカレモンだけ。
じいさんが買って使っていない三河の赤みりん、太古の昔に買ってサイドボードの肥やしになっていたカミュナポレオンデキャンタ、なんか高いはちみつ
この無茶げな素材ゆえなのか、このシロップはやたらにうまい
値段を抑えたものでもうまいのかどうかはわからない。砂糖とラム酒でもなんとかなりそうな気はするけど、このちょいとフローラルな雰囲気はでなさそう。コクは出そうだからその場合潰したバナナとかレーズンを漬け込んでみるのもいいかも

つまり大人がホットケーキを作って欲望を満たそうとしていくと、必然的にインスタントなパウンドケーキへと近づいてゆくのではないかという思いつきがあったけどそれに再現性はない

スポーツマンシップ

きれいでないのが当然だとみんなが思っていればこそ、きれいなものを目指して努力をしていく。
そこがごっちゃになってる奴が多いんだ、スポーツが健全な精神を養わないじゃないかとかサラッと言っちゃってよ。

大して健全でもない己をまず見つめてみなよ、そんな事軽々しく言えやしねえから

小笠原をみてて思ったこと

エースという役割をおっ被せて雑な起用を正当化する

まともなファンのヘイトは監督とチームに向く

選手としてはそんなキツイときでもファンは支えてくれたという思考に陥る

FA資格保有時に残留の可能性が低くなる


なんちゃってね

ここ一ヶ月で

大滝詠一の作品をざっと聞きかじってみて、結局ファーストがマイベストかもしれないとの感想を得た(まだレッツオンドアゲインとCMスペシャルは聞いていないけど)
しかしどのアルバムも本当にすごいというか、今更初めて聞いたような者にとっては完成したガウディの建築を見るようでただただ「どうやったらこれが出来るってことになんだよ!」というのみだ
付随して気付いた事としては、ここからのシティポップも含めてめちゃめちゃ聞き覚えのあるフレーズがそこかしこにでてくる事で、テレビ(とりわけフジテレビたと思う)から自然と流れてくるサウンドで俺らの世代は育ったんだなあという事を思った
いやー、もっと詳しい人の話とか面白いんだろうなあ。大滝詠一を偲ぶ会の参加のため、福生行きの切符買おうかな